大饅頭選手権の中で

長くなる事を残す場として

自己愛を取り戻せ

恥ずかしい自分語りになる。

 

かつての僕は時間があればtwitterなりブログなりに何かしら自分の思った事や感じたことを書いていた。いくつかの趣味があり、友達は少なかったがそれなりに楽しくやっていた。

 

今の僕はと言えば時間さえあればソシャゲ。趣味らしい趣味もない。スマホを触れば、まとめを見たり漫画を読んだり動画を観たり、どこからか流れてくる情報に身を委ねているばかり。何かTweetしたいなと思っても何もない。文字に起こしたい程思う事も面白い事も浮かんでこない。

 

どうして何かを書けなくなったのか。どうしてこうも生活が変わってしまったのか。

このままの生活で良いのか?こんな僕で良いのか?なんて以前は思ったりもしたけど最終的には「歳をとるにつれて目新しい事はなくなって慣れてゆくものだし」とぼんやり理由をつけて真面目に考える事もなくなっていた。

 

1月3日の夜。楽しかった家族旅行の帰り。空の上で日付変更線を越えながら10時間弱の暇つぶしをしていた。

 

機内サービスで視聴できる新作の映画も観終わり、iPhoneで何か時間を潰そうと、以前に取り込んだあるタレントのトークライブを聴いた。

20年前から聴いていた40年前の伊奈かっぺいのトークライブの音源。僕のかっぺいさんへの愛は語り始めればきりがなく、しかも本筋とはあまり関係ないため割愛するが、水曜どうでしょうを好きな大人たちがいるように、伊奈かっぺい津軽弁トークを愛する男もいるのだ。

彼が若い頃に暇で暇で仕方なく書いていたという日記は日々の端々にあった面白い事を少し卑屈にユーモアを交えて書いてあり、そこはかとなく自己愛が漂う。僕はそんなところに親しみを感じ、中学生の頃から熱心にCDを聴いていた。(でもちゃんとイケてるJPOPも聴いていたから安心してほしい。米倉利紀とかね)

 

そうか自己愛。

 

思えばかつての自分は自己愛に溢れていた。

そしてそれは様々な行動の原動力だったように思う。

→自転車で夜中に汗を流す俺カッコイイ…
→普段ぼーっとしてる俺なのにカラオケになるとまあ声を枯らして歌っちゃうのカッコイイ…

→面白いTweetや記事を書きたいからこそ日々を充実させようとする俺ってば意識高い

 

 

なぜ自己愛がなくなったのか。

 

実はここ四年でかなり太った。

結婚をしたりタバコをやめたり奥さんのご飯が美味しかったり色々な条件が重なり20キロも体重が増えたのだ。これを起点に考えていくと色々と合点がいく。

 

太ると…

→太った俺なんて自転車乗ってもカッコ悪い…

→太った俺なんて歌ってもカッコ悪い…

→太った俺なんて文字書いてもデブ…

 

何か新しいことを始めたり、面白いことを考えたりすることをしなくなったのはデブから始まるこの負の連鎖のせいだ。何をしたってデブはデブ。その結果積極的な行動が減り受動的なメディアをばかりを嗜むようになったのだと思う。

 

太った今の自分を愛せなくなっていたのだと気付いた時、長年わからなかった疑問の答えとその解決策が明確になった。

 

痩せよう。

怠惰な四年間への復讐を果たす。

一月七日という日を単なる七草粥の日ではなくするのだ。

僕は決して脂肪に埋もれて死にはしない!

僕は決して戦わずして太りはしない!

今日こそが僕にとってのサラダ記念日となるのだ!!

インデペンデンスデイの演説風にしてもかっこよくならなかったョ…)

 

そういうわけでともかくやせようと思う。

そしてもう1つ、ソシャゲをやめる。

 

パズドラ、黒猫、FFグラマス、FFメビウス、オセロニア、サモナーズウォー、タガタメ…数えたらきりがなく常にチェーンで何かしらのソシャゲに打ち込んでいた。どれも面白いけど、そればかりをしていては、道端に咲いてる美しい花に気付かない人間になってしまう…それは勿体無いことだ。そうだろう?(デブ)

生活を変える為にソシャゲをやめよう。

 

この2つで僕はきっと自己愛を取り戻せる。

その日まで戦い抜こう。

 

(手始めに、妻に2人でマウンテンバイクを始めようと誘ってみようか。)

 

グリーンスムージーサラダチキンを流し込みながら意識の高い僕はそう思った。